日記・コラム・つぶやき

2008年9月13日 (土)

夏休み

 今夏休みです。
大学生の夏休みは2ヶ月あります。1ヶ月は実家に戻り、残りの1ヶ月は米沢で過ごしています。
夏休みといえば海、花火、海水浴などなどありますが、いろいろ忙しくて今年はできませんでした;;
来年こそいい夏休みを過ごしたいです。

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2008年9月 7日 (日)

高校時代4

 3年生になり、部活も引退して、毎日勉強の日々でした。
日本に来て9年経って、日本語には不自由がありませんでした。
朝7時から夜7時まで学校で勉強し、そのあと塾に行き11時半まで勉強していました。ただこのままでいいのかなってときどきも思ったりしました。ある時期まったく勉強しない日もありました。成績が上がったり下がったりして不安もありました。2年のときがピークだったみたいでそれから少しずつ下降していきました。調子に乗って勉強を怠ったのもありましたけど。さらに本番に弱かったのです。高校入試、センター試験ともに今までとったことのない最低点でした。とくにセンター試験はかなり落ち込みました。1年のときから東北大を狙ってた自分にとっては厳しい点数でした。
そこで大学をどうしようか迷い、最後に出した決断は東北大の隣にある山形大に入りそこから東北大の大学院に入ろうと決めました。
大学を決めたことで、そこから入試対策が始まり、厳しい1ヶ月間を耐え抜き見事国立大に合格できました。留学生制度でもなく、日本人と同じハードル、同じ条件を小学校から成し遂げ、ここまでたどり着きました。日本語というハンデも克服し、たどりついた自分の道です。現在大学2年で情報を専攻しています。今までの努力を糧として日々精進していきたいと思う。

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2008年9月 6日 (土)

高校時代3

 2年になり私は理系のクラスに進みました。担任はT先生でした。
一番初めの授業からはT先生は厳しかった。当時T先生は30歳でした。
毎朝7時半に登校し、学習しました。2年生の最初の半年間は厳しかったのだが、それほどというわけではありませんでした。みんなが慣れていくのを見てさらに課題が増え、登校時間が短縮されていきました。それほど大学に入って欲しいんだって想いが伝わったのかみんなT先生に従いました。
再来年のセンター試験・2次試験に向けていろんな課題を準備してくれました。
そのおかげだったのか2年の11月の全国筆記模試では東北大A判定、名古屋大A判定、東大C判定をとることができた。このときも学校でトップでした。県内でも100番以内だったのも覚えています。国語も日本人である学校の人達を抜くこともできた。日本に来て6年、0からのスタート、6年間の努力ここまで発揮することができた。英才教育だの小さいときから無理やり勉強を教えるのはよくないと思います。子供のやりたいことをやらせてあげて、遊ぶときは遊び、勉強するときは勉強するということをやれば着実に実力はつくと思います。

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2008年9月 4日 (木)

高校時代2

 部活と勉強、文武両道を目標にしつつ、高校生活も慣れていきました。
高校時代はこれといったことは特にありませんでした。ただ1年のときの担任と2,3年のときの担任が大学について意見を対立していました。
1年のとき、当時の担任は英語の先生でした。S先生とします。2年生になったら文系と理系に分かれ、生物と物理を選ばなければなりませんでした。S先生はクラスのみんなに生物を選ぶようにしかったみたい。その理由は入れる大学の範囲が広がるからであった。2,3年の先生、T先生は当時4組、S先生は1組の担任でしたが、T先生は物理をとれば入れる大学の範囲が広がるだけでなく、理系の基本でもあり、大学に入っても必ず使うものだからおすすめすると言ってました。つまりS先生は大学進学を優先したのに対して、T先生は大学に入ってからのことについて考えて意見をしたのです。S先生は間違ってるとは言いません、S先生は主に文系の知識について長けていたので、初めから理系を希望した自分とは意見が合いませんでした。つまりT先生の考えについていくことを決めたのです。
そして、1年の3学期、自分のクラスの生物と物理の希望者を見てみたら、生物・・・39人、物理・・・1人でした。その一人が自分でした(笑 この偶然にちょっと笑ってしまった。みんな先生の言うとおりにしてたんだなあ。結果的に言うと生物選んだ友達は大学で物理をやることになってしまってました。数人曰く「物理選んどけばよかったな」と。
でも、当時はまだ高校1年生、自分の進みたい道決まっている人はそう多くいません。そして無理やりこっちやれあっちやれとも言いません。ただ、自分の経験から言ってみれば、もし理系を希望するのだったら物理を学ぶ方をおすすめします。生物分野、農学などをやりたい人は生物の方がいいですけどね。

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2008年9月 3日 (水)

高校時代

高校に入ってバドミントン部に入部した。
進学校だったので、1年のときからもうすでに進学や大学の話をされていました。
当時はもうすでにそのことを考えていたので国立大の東北大学を目指していました。
最初はどんな勉強するのかなと不安でしたが、以外についてこれたので安心してました。
外国人が高校に入ってもどうせ下の方だのいろいろ聞きました。確かに一番最初の確認テストでは240人中100番ぐらいでしたので高校ってレベル高いんだあって思ってしまった。しかし、授業を重ねていくにつれて楽しくなっていき、中間や期末テストでは100番台からいっきに10番以内でした。自分が伸びてるのか周りが勉強してないのかはわかりませんでしたけど、大きな自身になったのは今でも覚えています。
さらにうちの学校では1年のときから全国模試を実施していました。このときは日本に来て5年弱、日本語や韓国語を習得するのに10年はかかると聞いていたし、ここで差をつけられるのかなと思い1年の7月に初めての全国模試を受けました。案の定国語できませんでした。日本語というハンディが大きな壁でした。でもここで焦っても何がどうってなるわけでもないし、焦らずに普通に授業受けて勉強に励みました。
すると2回目の全国模試はうそのように結果がよく学校でトップになった。しかも2位の人との大きな差でのダントツでした。これはとてもうれしかったですね。5年足らずでここまで来るなんて自分も思っていなかったし、親も予想してなかったみたいでした。さらに前に話した外国人が高校にいける訳がないって言ってた人も驚いたそうです。自分はざまあみろって感じでしたけど(笑

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2008年9月 2日 (火)

中学2

そのあと部活にも入り、少しずつ日本語も覚えるようになり学校生活がだんだん楽しくなっていきました。
そして、いよいよ高校受験のシーズンが来たわけですが、親の友達とかが俺が日本人じゃないからと高校にいけるわけがないと言われました。まぁそれの話を聞いたのは高校に入学してからですけど(笑
県で上位を争う男子高校に入学したいと思ってました。でもまだ若かったからなのかな勉強する気が起きなく受験に失敗してしまいました。それで一年間通信の高校通いながらバイトをしていました。そのときはもう二度と高校受験は受けないと思っていました。
でも通信の学校がつまらなくて、親の推しもあったため11月から再び受験勉強をしました。
ブランクはあったのだが、精一杯のことをしました。そして学力を昨年落ちた高校の合格圏内までたどりつくことができた。だがあえてそこを受けませんでした。
レベルひとつ下げて地域で一番の高校を受けることにしました。まぁ理由はいろいろありました、むかついたとかですね(笑
このときは日本に来てまだ4年ぐらいしかたっていませんでした。これで外国の人が10歳のときに来ても4、5年足らずで高校に入れることが証明されました。要は本人の努力次第です。まったく日本語のできない人でも努力すれば不可能はないです。

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2008年8月31日 (日)

中学

小学校を無事卒業し、中学に入学しました。1年目はまだ日本語があいまいでした。
そのせいか授業の成績はよくありませんでした。
でも友達はたくさんできて、多少のコミュニケーションだったが毎日楽しい日々でした。
少しずつ日本語も覚え1年目の終わりの方では学年で20番以内になることもできた。
当時日本語というハンディがありながらよく頑張っているなと先生にほめられたのも覚えています。

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2008年8月30日 (土)

旅立ち

俺のおじいちゃんは日本人だったので、日本に行くチャンスがありました。
そして、おばあちゃんと小4の冬に日本に飛び立ちました。
飛行機の中での旅は24時間かかってかなり退屈で今でも覚えています、
そして成田空港に着いた。両親は俺が5歳のときすでに日本にいました。
周り見わたしても読めない字がたくさんで、何話してるのかすら分かりませんでした。
そしていきなり小学校に入ることになります。
本当になにもわかりませんでした。そのため友達とも話せなかったな。
短い冬をすごし、親の仕事の関係で新たな場所へと引っ越しました。
小5になり、新しい友達を作り、なんとかがんばりながら小学校をすごせました。

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2008年8月29日 (金)

日本来る前

昨日書いた通り小5のときに日本にきました。
その前は日本の反対側のとある国に住んでました。
そのときでの生活というのは危なくて、外出るにも怖かったです。
学校の行き帰りはいつも親同伴、それは危険からでした。
ある日8歳のときおばあちゃんとおばさんの家に行ったとき、バス停から降りてすぐ、二人組の人たちにナイフで恐喝されました。今でも覚えています。とても怖かったな。
また、当時の家はサッカースタジアムからとても近くにあって、家の通りの前をフーリガンがざわざわと暴れてました。
一度買い物行ったとき、それにでくわしました。さらに警察官もいて催涙弾投げてきました。運悪くそれを食らってしまいました。とても苦しかったな。フーリガン通るたびに窓割ったり、車壊したりしてとかなり困ってました。
それでもずっと住んでると慣れてしまうものでした。でも日本来てから11年一度もそっちに帰ってなません。あちらの親戚によると昔よりさらに危ないとのことです。
一度顔を出しに行きたいのですが怖くていつになるかわからない今の心境です。

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2008年8月28日 (木)

カリュウ

こんにちは改めて自己紹介いたします。
カリュウです。11年前、日本に来ました。
当時は日本語の「に」すらわかりませんでした。そして小学校5年生から日本の生活を始めました。最初はまったく日本語ができず、友達ができてもうまくコミュニケーションが取れない日々でした。しかし年月が経つにつれて自然に日本語を覚えるようになり、今ではもう支障はありません。
さらに無事高校卒業し、国立大学に入学することもできました。中学のとき、外国人が高校行けるはずがないだの言われてましたが、大学まで来ました。努力次第でなんでもできることを実感できる経験でした。
とまあこんな自己紹介でしたが、今では一人暮らししています。
よろしくです。

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